旅の思い出 その5 春のサイクリング 

旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまで、あちこち訪ねた旅行のなかで、思い出に残るものを写真を添えて旅の思い出としてまとめてみました。

旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。

春のサイクリング  

昭和33年、高校1年の時、春休みに同じクラスの友人が企画したサイクリングに参加した。私が、高校1年で、少年自衛官の採用試験に合格し、高校を中途退学することになった。クラスの友人10人が送別会として、サイクリングを企画してくれた。鉾田から北浦の西側道路を走って潮来の水郷十二橋巡り、鹿島神宮橋を渡って鹿島神宮参拝、帰りは北浦の東岸道路を通って鉾田へと約60キロの砂利道を駆け抜けた。帰宅したときは星空に月が輝いていた。

北浦
潮来水郷十二橋
鹿島神宮橋
鹿島神宮

少年自衛官の試験は、中学3年の時に受け、一次試験は通ったが、二次試験で不合格となった。大変なショックだった。家庭は、農家で9人家族(父母、祖父母、兄2人、妹2人)。北浦に注ぐ巴川の岸辺に家があり、昔は、この付近で採れる米を船で江戸に運ぶ水運業をやっており、裕福だったらしい。しかし、曽祖父の代に散財し、貧乏になった。このため、経済的に高校に行くのは無理であったので、中卒で就職するため、少年自衛隊の試験を受けた。しかし二次試験で不合格となった。学校の成績は、茨城全県で中学3年を対象として実施する学力検査試験で、いつも300番以内に入っていたので、まずまずであった。

仕方なく、親に頼んで、来年また受け直すとということで近くの鉾田一高に入った。高校には内緒で受験し、合格した。高校中退を担任の鈴木先生(数学担当)に申し出た時、先生は驚いたが、事情を話すと納得してくれ、励ましの言葉をいただいた。

当時、私が住んでいる茨城県南部の農村地帯は、今の様に鹿島工業地帯はなく、農家の跡を継ぐ長男以外は、ほとんどは中卒の集団就職で、東京、横浜、川崎方面に就職した。高校に進学するのは、経済的に恵まれた生徒で2割程度だった。

次回は、旅の思い出 その6 水泳訓練を予定しています。

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コメント

“旅の思い出 その5 春のサイクリング ”. への2件のフィードバック

  1. 尾関伸介 のアバター
    尾関伸介

    尊兄が少年自衛官という進路を選択される経緯などを伺いました。 私も岡山の中山間部の農家で、9人ほどの大家族に恵まれて育ちました。 当時、日本は高度成長の前でした。 貧しい中にも、叔父さん叔母さんの深い思いやりに助けられたことを、70年以上が経った今、ありがたく想い出しています。 尾関伸介

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  2. 鬼沢勲 のアバター
    鬼沢勲

    当時の農村地帯、貧しい中にも人に対する思いやり、優しさがあり、心の豊かさがあったように思います。住む人は変わっても、田園風景は、昔のまま残っています。都会にいて、想い出す田舎を持っていることは幸せなことです。

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