旅の思い出 その4 夏のサイクリング

旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまで、あちこち訪ねた旅行のなかで、思い出に残るものを写真を添えて旅の思い出としてまとめてみました。

旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。

夏のサイクリング

昭和31年、中学3年の夏休みに木村校長先生の勧めもあって、水戸の県営陸上競技場で開催された全日本中学校放送陸上競技大会の県大会を見に行った。1955年(昭和30年)8月にNHKのラジオ放送網を利用して各県の競技場を実況中継で結ぶ大会が「全日本中学校放送陸上競技大会」の名称で開催された。大会の2年目であった。友達と2人で30キロほどの道のりを自転車で行った。砂利道の県道から舗装道路の国道6号線(水戸街道)に入り、大汗をかきながらペダルを踏んで走った。

県営陸上競技場(イメージ)
当時の水戸街道

木村校長先生には、巴中学校(鹿島郡巴村、現在の鉾田市)で3年間お世話になった。長身のスポーツマンで陸上競技を得意とし、走っても、跳んでも、投げても相当な運動能力であった。

先生は、中学2年の夏休みに、知り合いの中央大学の陸上競技部の学生2人を招き、陸上競技をやる生徒に対し短距離、中距離の走法について、指導を受けさせた。1人の学生は、当時800メートルの全日本学生チャンピョンだった。

中学に陸上競技部はなく、いろんな部員の寄せ集めで20人程度が参加した。私はバスケット部であった。

巴中学校(イメージ)

 この大会で茨城県から全国1位が2人出た。走り高跳びの杉岡邦由選手と走り幅跳びの弓野健二選手である。

  杉岡選手はその後水戸農業高校石塚分校、日大、八幡製鉄と進み、長年にわたり、ハイジャンプの第一人者として活躍し、4回のオリンピック(ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン)に出場した。

  弓野選手は、茨大付属愛宕中学で、茨城県中学学力テストで常に50番以内に名を連ねていた。水戸一高に入り、高校のインターハイでも活躍した。また彼は、この大会の800メートルリレーの最終走者として出場し、トップでゴールしている。走り幅跳びの選手らしく、バネのあるロングストライド走法であった。

  大会の帰り道、道端で売っているスイカを買って食べた。おいしかった。今でもスーパーでスイカを見ると、あの当時のことが懐かしく思い出される。

道端のスイカ売り(イメージ)

このサイクリングの5年後(昭和36年)、防衛大学2年時の昼休みに、校長先生がひょっこり私の居住する二大隊宿舎を訪ねて来たのにはビックリした。水戸市の教育委員会の視察旅行で防大を見学に来られたのだ。中学を卒業して4年半ぶりの再会。日焼けした顔で元気そうだった。それから7年後(昭和43年)、市谷会館で行った結婚式の披露宴に先生を招待し、祝辞を頂いた。

二大隊宿舎

次回は、旅の思い出 その5 春のサイクリングを予定しています。

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コメント

“旅の思い出 その4 夏のサイクリング”. への2件のフィードバック

  1. 尾関伸介 のアバター
    尾関伸介

    木村校長先生、同級生との尊兄の懐かしい想い出話に、自分の同時期の先生・仲間の想い出が導かれ、懐旧の念を深くしました。いつも素敵な写真をいただき、ありがとうございます。尾関伸介

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  2. 鬼沢勲 のアバター
    鬼沢勲

    純粋で多感な十代の頃の出来事を思い出すと、老体にも生気が沸くのを感じます。当時、田舎には人格的に優れた先生が多かったように思います。

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