旅の思い出 その3 東京見物

旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまで、あちこち訪ねた旅行のなかで、思い出に残るものを写真を添えて旅の思い出としてまとめてみました。

旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。

東京見物

昭和28年、小学6年の時、修学旅行で1泊2日の東京見物があった。これには、担任の瀬尾先生の存在が欠かせない。小学校時代は、先生に恵まれていた。茨城県南東部(現在の鉾田市郊外)の田園地帯であり、農業以外に働くところがないため、先生になる人は優秀であり、人格的にも優れた人が多かった。皆、地元の高校卒で、大学卒の先生はいなかった。

小学5、6年の担任は、瀬尾祝也先生。身長は、165センチ程度で引き締まった体型のスポーツマンで100メートルは11秒台、バレーボールも上手であった。また書道が得意で有段者だった。顔立ちは整っており、俳優の三船敏郎を優しくしたような感じだった。しかし教育には厳しく、悪いことをすると容赦なくビンタを張られた。

クラスは、男女合わせて43人、このうち10人程度は、家が貧しく、秋の修学旅行には行けない環境であった。先生は、皆で働いてお金を貯め、全員で修学旅行に行こうと提案され、クラスの全員が同意した。

近くの山林で茅を刈ってきて、炭俵を作り、炭焼き小屋を営む農家に買ってもらった。またどんぐり拾いをやった。校内の空き地に桑の木を植え、桑の葉を養蚕農家に買ってもらった。このようにして、全員の旅行費用を稼ぎだし、全員そろって、1泊2日の東京見物の修学旅行に行った。昭和28年10月であった。

皇居前広場で皇居の二重橋をバックに全員そろって記念写真を撮った後、広場にあるベンチに腰をかけ、お弁当のいなりずしを食べた。広場前の大通りを左右から切れ目なしに車が走っている様子を見て驚いた。

皇居二重橋

有楽町のビディンホールで、市村俊幸、森光子が司会する歌謡ショーがあり、幕開き前に司会者の合図によって一斉に拍手するリハーサルがあった。ラジオの生放送だったのだ。羽田空港で旅客機を初めて近くから見て感激した。浅草で観音様を参拝した時、境内で白衣の傷痍軍人らしい人が松葉杖を横に置いて物乞いをしているのにビックリした。

1950年代の羽田空港
浅草寺雷門

当時瀬尾先生を見て、将来は先生になりたいと思った。

 卒業後、何回か、先生を囲んで同窓会を開いた。その度にこの修学旅行が話題となった。

注:「朝日新聞」の読者投稿「声」欄で、テーマ「みんなで語ろう私の先生」の原稿募集があったので、投稿したところ、採用となり、2018年9月15日(土)朝刊に下記の記事が掲載された。

掲載記事を同級生全員に郵送したところ、大きな反響があり、電話、メール、FAXで連絡があった。なかには兵庫県に住んでいる女性から電話があり、茨城県にいる妹から掲載当日に記事を見たという電話を受けたとのことだった。ご遺族の自宅にも記事を郵送したところ、八十八歳になる先生の奥様から教師冥利に尽きるとの喜びの返事をいただいた。

次回は、旅の思い出 その4 夏のサイクリングを予定しています。

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コメント

“旅の思い出 その3 東京見物”. への2件のフィードバック

  1. 尾関 伸介 のアバター
    尾関 伸介

    2018年9月15日の朝日新聞の声欄に掲載された「私の先生」・瀬尾祝也先生を敬慕する尊兄の記事は、私の心にも強く響きました。私も田舎の小学校で担任の先生に恵まれていたことを今、しみじみと思い出しました。生徒夫々を生かす素晴らしい先生であったことに改めて感謝した次第です。尾関伸介

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  2. 鬼沢勲 のアバター
    鬼沢勲

    時代は変わっても子供の教育の基本は、人の進むべき道を説くことだと思います。現在の偏差値評価を前提とした知識偏重教育に疑問を持っています。

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