旅の思い出 その2 筑波山登山

旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまでの間、あちこち訪ねた旅のなかで、印象に残っているものを旅の思い出としてまとめてみました。

旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。

筑波山登山

昭和26年秋、小学4年の遠足で筑波山の登山に行った。筑波山は、学校から西方約40キロにあり、校庭から山頂部分がよく見えた。写生の時間には、近辺で唯一目につく景色だったので、よく写生の題材にした。

筑波山

小学校4、5、6の3学年合同の遠足で、学校から筑波山中腹の登山口まで3台の観光バスで行った。当時、道路の舗装は、国道のみで、地方道はどこへ行っても砂利道で、晴天が続くと、砂埃を立てながら走った。当然スピードも遅く30~40キロ/時程度であった。筑波山中腹の旅館、土産物店が並ぶ道路奥の観光バス専用の駐車場に着き、バスを降りると空はどんよりとして今にも雨が降り出しそうな天候だった。筑波神社に参拝した後、4年生を先頭に、5年生、6年生と続き、休止している登山用ケーブルカーの軌道(注)に沿って山頂に通じる登山道を歩き始めた。

筑波神社

3学年、総勢120人、引率は各学年の担任教師、引率の責任者は教頭先生であった。頂上まで約2キロの道のりを歩いた。出発当初は、学年ごとのグループを保っていたが、途中から雨が降り出し、列が乱れた。元気なものは、先頭の方に進み、隊列が乱れ、先頭から後尾までの間隔が徐々に広がっていった。

私は、元気グループの一員として、5年、6年の先頭グループ5人の中に入り、本隊を追い抜いてどんどん進んだ。男体山の頂上に着いた時は、雨が激しく降っていた。

筑波山登山道
筑波山頂(男体山)

頂上に着いて、30分程度待っただろうか、本隊が到着しない。今のように携帯電話を持ってないので、連絡の方法がない。6年のリーダー格の人の指示で引返すことにした。ところが引返す途中で誰にも合わない。駐車場横の土産物店で、雨宿りをしようと、中に入ると、店の人が、びしょ濡れの様子を見て、ストーブで乾かしなさいと、石炭ストーブ前の椅子に座らせてくれた。

観光バスの運転手3人が入ってきて、本隊は、下山する際、道を間違えて反対側斜面の遊歩道を下りてしまったので、これからバスで迎えに行くとのことだった。ホッとして皆の帰りを待った。1時間後に、ずぶ濡れの本隊が次々にバスを下りてきた。担任の先生に事情を話したら、よかったと言ってくれた。

近くの旅館や土産物店で働く人達がバスの到着を待ち、それぞれ準備したストーブや火鉢で体を温めるよう全員を案内してくれた。

注:筑波登山のケーブルカーは、戦時下、昭和19年に不要不急ということで営業を中止した。営業を開始したのは、この遠足の3年後の昭和29年。

次回は、旅の思い出 その3 東京見物を予定しています。

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コメント

“旅の思い出 その2 筑波山登山”. への2件のフィードバック

  1. 尾関 伸介 のアバター
    尾関 伸介

    武器科でしたので、BOCで武器学校に学んでいました。武器学校在校中に数回登りました。その後にも最も親しい友人を伴って登ったことが、懐かしく大切な想い出になっています。筑波山の山頂から眺める関東平野は広いですね。尾関伸介

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  2. 鬼沢勲 のアバター
    鬼沢勲

    晴れた日には、筑波山の頂上から富士山(160km)が良く見え、関東平野の広さを実感できます。近くに筑波研究学園都市ができ、つくばエクスプレスが開通し、田舎のイメージが薄くなりました。

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