旅の思い出 その71(最終回) 故郷の風習・風景

旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまで、あちこち訪ねた旅行のなかで、思い出に残るものを写真を添えて旅の思い出としてまとめてみました。

旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。  

故郷の風景

故郷を離れて68年の歳月が流れた。茨城県南東部に位置する田園地帯、旧鹿島郡巴村。巴村の由来は、村の西側を流れ北浦に注ぐ巴川からきている。

今は、一町四ヶ村の合併により鉾田市に変わったが、元巴村の村落、畑、水田、山林とも昔のままの風情を保っている。名所旧跡や景勝地があるわけでもなく、巴川東岸沿いの水田地帯と、その東側にある広大な平地の畑作地帯からなっている。広さは、東西3キロ、南北7キロで7つの村落がバランスよく点在している。人口は、昭和20年代、約5千人であった。

印象に残る主な風習・風景について思い付くままたどってみる。

巴川

我が家は、巴川の岸辺にあり、屋号が川岸(かし)で、昔は、巴川周辺の水田で収穫される米を船で江戸まで運ぶ、水運業を営んでいた。田んぼの中の一軒家で、夏には、蛍が飛び交うなか、カエルの合唱を聞きながら眠りに着いた。

巴川

小、中学校

巴村には、小学校が3校、中学校が1校あり、クラスは小が1クラス、中が3クラスだった。いずれも、統廃合により廃校となり、今では校門の門石のみが残されている。

巴第一小学校校門(元は巴村立第一小学校)

中学校の校庭から、西北方向遠くに筑波山を眺めることができた。唯一目に付く景色だったのでよく写生の題材にした。

郷里から見た筑波山

中学は、各学年120人程度で3クラス、毎年クラス替えがあるので、全員が身近な友人となる。私は、子供なりの好奇心から、あちこち歩きまわるのが好きだったので、同級生の一人一人が住んでいる家、兄弟姉妹、親戚関係、農業の規模、経済状況など、かなり詳しく知ることになった。また上に兄が2人、下に妹が2人いたので、その同級生を通して、さらに広く知るようになった。今でも、当時訪ねた同級生の家屋敷、庭の様子など一軒一軒が懐かしく思い出される。

下の写真は、我が家に一番近い友人の家で、広い屋敷に2階建ての住まいが建っている旧家である。父は、戦後シベリヤに抑留され、現地で製材の仕事を体験した。復員後、農業の傍ら製材業を営んでいた。友人が跡を継ぎ、製材業の看板を掲げている。

友人の家

農繁休

稲作農家は、6月の田植え時期と10月の刈り入れ時期は、猫の手も借りたいほど忙しい。そこで、小学4年生以上と中学生には農作業手伝いのため1週間の農繁休が与えられる。農家でない者、例えば、先生の子供や、駐在所のお巡りさんの子供は、登校するが、クラスで2、3人である。小学校の1年下にお巡りさんの娘がいて、お洒落でかわいく都会じみていて、惹かれるとこがあった。3年で転勤に伴い転校することになった。

田植え風景

村祭り

村の行事では、春の大杉神社祭り、夏の豊年盆踊りがあった。神社祭りは、山車が出て、村のはずれから、中心部にある神社まで約1キロの県道の砂利道を、子供達が総出で、2本の長い綱を引いた。山車には青年団の若衆10人ほどが乗り、笛と太鼓のお囃子、おか目ひょっとこの踊りで賑わった。神社に着くと、山車を引いた子供たちにノートが配られた。なかには2回並んで2冊もらうズルもいた。

大杉神社
山車

夏休みのお盆の時期に、神社の境内で五穀豊穣の盆踊り大会が行われ、近隣の青年団のグループが集まり、踊りの技を競い合った。子供は、屋台の綿あめや煮いかをほうぶりながら見たものだ。

五穀豊穣夏祭り

無量寿寺

我が家の近くの高台に浄土真宗本願寺派の無量寿寺がある。鎌倉時代の創建で、広い境内の一角に鐘楼がある。毎日正午に住職による鐘撞が行われ、農作業中の住民に正午を知らせる時の鐘となっている。

長女が中一の時、帰省し、墓参りの後、この鐘楼を写生した。夏休みの写生の宿題として提出して入選し、講堂に展示された。

無量寿寺
無量寿寺鐘楼

結婚式

田舎の結婚式は、近くの神社で親族が集まって神式で行われ、披露宴は、自宅でやった。料理は、料理人(調理師)が朝から自宅に出張し、近所の奥さん達のまかないで準備した。披露宴には、小学校低学年の男女2人が三々九度の酒注ぎの役を頼まれ、開宴前に新郎新婦に酒を注ぐ習わしがあった。子供にとっては、お礼がもらえるので光栄なことであった。

結婚披露宴

上棟式

村では、年に数件、自宅の新築があり、骨組みが出来上がった段階で、上棟式が行われた。上棟式では、棟餅(ぐしもち)というお祝いの餅がまかれ、大勢の子供が集まった。最初に東西南北への四方餅、次いで小さな紅白餅、最後に大きな一升餅が投下された。子供を含め近隣の人人が、屋根からまかれる餅を競って拾った。一升餅を手にした強者は村の評判になった。

上棟式餅まき

遠足

中学2年の時、春の遠足で学校から8キロ北にある涸沼にシジミ採りに行った。3クラス120名が、先生の引率で、砂利道の県道をを2時間ほど歩いて、涸沼に着いた。たくさんのシジミを採取し袋に入れて持ち帰った。当時、道路を走る車は、少なく、定期バスと三輪トラックが1時間に数台だった。時々農家の荷馬車と出会った。

道路の両側は、麦畑、桑畑(養蚕用)、サツマイモ、トウモロコシ、葉タバコなどで緑一色だった。あれから70年が過ぎ、今では、メロンの名産地となっており、メロン御殿が目にに付くようになった。

農業は、日光、土、水と自然の恵みを受け、自然を上手に利用しながら人の生存に不可欠な食糧を生産する大切な仕事である。そこには大自然の中で、自然がもたらす恩恵と自然との一体感を常に感じながら、自然と友の生きる喜びがある。

涸沼に向かう畑作地帯の風景
涸沼のシジミ採り
メロン畑
メロン御殿

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