旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまで、あちこち訪ねた旅行のなかで、思い出に残るものを写真を添えて旅の思い出としてまとめてみました。
旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。
会社OB会バス旅行(静岡)
平成26年(2014)5月17日、会社のOB会による日帰りバス旅行に行った。
会社の定年退職者約200名でOB会を作り、会社の支援を受け、毎年、総会、懇親会のほか日帰りバス旅行、ゴルフ大会などの行事を行っている。
今年の旅行は静岡県で、34名が参加した。行く先は、静岡市清水区(元の清水市)にある東海道広重美術館と清水次郎長の菩提寺、梅蔭禅寺である。

| 東海道広重美術館 |

| 東海道五十三次(由井、現在の清水区) |

| 東海道広重美術館近くの風景 |

| 梅蔭禅寺 |

| 清水次郎長像 |
今回清水へ行くことになったのは、千葉製油所の操業と清水市にあった東亜燃料工業(株)清水製油所との次の関係によるものである。
昭和43年に建設が完了する千葉製油所の操業開始に備え、装置の運転に必要な技術を身に着けるため現場実習を行う必要があった。このため昭和41年から42年にかけて、製油所の運転操業にあたる要員を東亜燃料工業(株)の清水製油所(現在のENEOS(株)清水油槽所)に派遣すことになった。
このため昭和41年・42年の新卒者(学卒、高卒)約30名が清水の製油所に派遣された。会社の1、2期生であり、現在の年齢は70歳前後である。このため多くの1、2期生がこの旅行に参加した。

| 元の東亜燃料工業(株)清水製油所 |
帰途、東名高速道路から、五合目まで雪をかぶった富士山を頂上から裾野まで一望することができた。
富士山といえば、2回登ったのを思い出す。1回目は防大2年の秋の野外訓練で東富士演習場に行った時である。夕食後須走口を出発し、ご来光前に頂上に辿り着いた。頂上に着いた時、冷気で汗をかい背中がぞくぞくしたのを覚えている。下山は御殿場口で砂走りといわれる急な斜面を駆け下りた。2回目は、空挺団にいる時だった。

| 富士山 |
また須走にある富士学校には、3回入校し、研修を受けた。1回目は、BOC(幹部初級課程)で昭和40年7月からの8カ月。入校して間もなく須走のメイン道路に面した、年寄り夫婦の離れ家に下宿した。土曜の夜は、よく近くのバーへ友人と飲みに行った。篭坂峠の方向に1キロほど行ったところに富士高原スケート場があり、深夜0時オープンなので、飲んだ後出かけ、朝方まで滑った。深夜は入場者が少ないので自由に滑ることができ、氷の質もよかった。
当時は山中湖が全面凍結した。篭坂峠を下ったところの旭ヶ丘でスケート靴に履き替え、2キロ先の平野まで滑って行ったことがある。風が強い時に凍ったのか、表面は波を打っていたのが印象に残っている。
2回目は昭和42年の6カ月でATM(対戦車誘導弾)の履修課程である。ATMの部隊配置が決まり、最初に北海道の第二師団と空挺団に配備されることになった。このため第二対戦車隊から4人、空挺から私1人が入校した。二対戦からは同期のS君が来ていた。
3回目は、昭和45年の7月からの8カ月。AOC(幹部上級課程)で、家族同伴(長女が1歳)で御殿場市ぐみ沢にある小さな借家に住んだ。マイカー(いすゞべレットスポーツタイプ)で、富士五湖巡り、白糸の滝、箱根、沼津、日本平、三保の松原などあちこちドライブに出かけた。

| 陸自富士学校 |
茨城に住む義母が、孫の顔を見るのが楽しみで、70歳近くの高齢ながら御殿場まで出かけてきた。渋谷から東名高速バスで来るので、その都度御殿場インターチェンジのバス停まで車で迎えに行った。また富士学校へは8キロ、マイカー通勤で、近くに住んでいた同期のF君、Y君を乗せて通った。須走、御殿場で過ごした昔の頃を懐かしく思い出す旅であった。

| 東名御殿場バス停 |
次回は、旅の思い出 その28 会社OB会バス旅行(山梨) を予定しています。
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