旅の思い出 その26 三浦半島ドライブ

旅好きな高齢者です。紅葉、お花見、寺社巡りなど全国各地へのドライブ旅行を楽しんでいます。今回は、幼少時からこれまで、あちこち訪ねた旅行のなかで、思い出に残るものを写真を添えて旅の思い出としてまとめてみました。

旅好きの方、また旅に出たい気持ちはあるが、体力的に遠出が難しくなった高齢者の方にご覧になっていただければ有難く存じます。

三浦半島ドライブ 

2014年4月19日(土)朝起きたら、晴天なので急に思いつき、三浦半島へドライブに行った。湾岸習志野から湾岸線、首都高横羽線、横浜新道を経て先ず鎌倉鶴丘八幡宮へ。八幡宮近くの駐車場は、満車なので、500メートルほど離れたパーキングに車を入れ、八幡宮境内へ向かった。休日のせいか観光客が多く、ごった返していた。

緑につつまれた境内中央に位置する舞殿では、結婚式が行われていた。この舞殿は、静御前が源義経を慕って舞を納めたところとか。

鶴丘八幡宮舞殿

本殿への階段下の左手にあった大銀杏は、4年前の平成22年3月の大風で倒れてしまい、今は残った根っこの部分から出た新芽を移植し、育成している。横に成長を祈願する寄せ書き看板が立っており、多くの寄せ書きがあった。

寄せ書き看板

逗子、葉山の海岸道路通りを経て三崎方面に南下、道路は空いておりスイスイだった。

逗子海岸道路

途中、武山駐屯地の一角にある少年工科学校を右手に見ながら走った。同校は、防大に入る前の半年間過ごした懐かしいところ。正門の表示を見たら名称が変わり、陸上自衛隊高等工科学校になっていた。ここは昭和34年に通信(久里浜)、武器(阿見)、施設(勝田)の各職種学校にあった生徒隊が武山に移転し、陸自の生徒教育隊として発足した。その後、少年工科学校、高等工科学校と変遷していった。その間職種も、機甲、航空が追加された。 

当時は、木造2階建ての旧海軍兵団が使用していた古い建物で、移転してしばらくは、草刈りや排水溝のドブ掃除で汗をかいた。

陸自高等工科学校正門

次いで三崎港に向かった。三崎の街並みの坂を下り、三崎港の海に面したところにある寿司店「咲乃家」で夕食をとった。獲りたての新鮮な魚で握った寿司の味は格別なものであった。

その後、三浦半島南端の海岸を右手に久里浜を経て馬堀海岸、観音崎へ。馬堀海岸付近は、海岸の埋め立てで遊歩道付きの新しい海岸ができ、学生時代とは一変する景色であった。その中で遠くに見える猿島だけは昔のままの姿であり、ほっとした。

馬堀海岸遊歩道
馬堀海岸から見た猿島

観音崎へ向かう途中、走水のポンドから20人ほどの防大生が小原台に向かっていた。2年生のカッター競技の練習の帰りのようだった。観音崎海岸広場のレストハウスに着いたのは夕暮れ時であった。岩場を含め海岸の景色は昔のままであったが、京急ホテル、海の博物館など多くの施設ができていた。

観音崎海岸
観音崎灯台

観音崎は、当時、ヒットした映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となったところ。このような灯台守の地道な生き方に共感を覚えた若い頃の自分の純粋さが懐かしく思い出された。

「喜びも悲しみも幾歳月」

馬堀海岸から最近できたバイパス道を経て、佐原インターから横浜横須賀道路に入り、午後9時に帰宅した。

三浦半島は全体として、再開発が進む中、鎌倉、逗子、葉山など昔の景観を保存しているのが印象的だった。一方、三崎港は、商店街はシャッターを下ろし、港にも活気がなく、さびれているように感じた。

次回は、旅の思い出 その27 会社 OB会バス旅行(静岡) を予定しています。

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コメント

“旅の思い出 その26 三浦半島ドライブ”. への2件のフィードバック

  1. 尾関伸介 のアバター
    尾関伸介

    猿島、観音崎灯台など、本当に懐かしくて、涙が出そうな名前です。やはり防大で仲間と学んだ4年間は、人生の黄金期であったように感じます。写真はどれも嬉しく心揺さぶられる景色です。ありがとうございます。尾関伸介

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  2. 鬼沢勲 のアバター
    鬼沢勲

    小原台で過ごした学生時代を思い出す材料として役立ったこと、嬉しく思います。時は流れ、車窓に見る風景は変わっても、脳裏に刻まれた思い出は不変です。青春時代の懐かし思い出に触れると、心に生気が沸き、幸福感に浸ることができるのではないでしょうか。

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